2016年06月25日
名古屋ゴールデンエイジ・メイルクワイヤー - 164 ー
6 / 24(金) 練習会 18:00
1. 会津磐梯山 2. 遙かな友に 3. Missa Pasis KYRIE
4. Matona mia cara いとしのマドンナ
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・練習曲資料 46 「遙かな友に」 <関連情報>
「遙かな友に」発祥の地 「遙かな友に」 歌碑
・「遥かな友に」は,磯部俶が 1951(昭和26)年に作詩作曲した合唱曲。
磯部俶は 早稲田大学グリークラブの合唱指導をしており,クラブのOBでもあった。「遥かな友に」の誕生には次のようなエピソードが残されている。
・グリークラブは 昭和24~26年の3年間,神奈川県津久井渓谷の夫婦園に一軒家を借りて,夏と秋に合宿をしていた。1951年夏の合宿の時,新入部員が枕投げをするなど あまりにもはしゃいでなかなか寝ないのに上級生が頭を痛め,「明日の練習に差し支えるので何とか早く寝かせたい」と磯部氏に相談したところ,磯部氏は腹ばいになりながら 五線紙もない中で即興的に作曲したのが この「遥かな友に」だった。
・この歌は最初 グリークラブのパートリーダー達4名が無伴奏で歌っていたが,その後 ボーカルグループ・ボニ―ジャックスがレコード化し,NHKの“みんなのうた”に取り上げられたため 広く全国に広がり,男声合唱,女声合唱などに編曲され,今日も親しまれている。
・「遥かな友に」の歌碑は 1986(昭和61)年に,また誕生の地碑は 2001(平成13)年に建立された。
男声クァルテットボニージャックスは、磯部俶が名付け親であり、メンバー4人の結婚式の媒酌人は全員磯部夫妻が務めたという。
磯部俶作詞作曲の「遥かな友に」は、1951年、当時すでに早稲田大学グリークラブのOBでありかつ指導者であった磯部が、メンバーと共に神奈川県の、道志川沿いの津久井渓谷(現相模原市緑区)の夫婦園で夏合宿をしていた時、なかなか寝ない部員たちを鎮めるために即興でつくったといわれる。
1982年、津久井町(現相模原市)でボニージャックス公演が開かれたとき、地元に呼びかけ、早稲田大学グリークラブのOBらも協力して、1986年7月13日に「遥かな友に」の詩碑が建てられた。場所は作曲地夫婦園ではなく、少し離れた「緑の休暇村」である。これを機に津久井町は「合唱の里」宣言を行い、1992年から毎年敬老の日に、この場所で磯部俶記念「遥かな友に」道志川合唱祭が開催されている。
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アーカイブ <名古屋ゴールデンエイジ・メールクワイヤー> 22年の歩み (35)
2002年までの訪問演奏 ( 76回 )
~ 演奏した主な曲目(1999~2002) ~
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16 証城寺狸囃子 24 野ばら(ウェルナー)
17 背くらべ 25 野ばらの花
18 ソーラン節 26 婆やのお家
19 筑波山麓合唱 27 遙かな友に
20 ともしび 28 ブラームスの子守歌
21 涙君さよなら 29 ふるさと(オナーチン)
22 希望の島 30 故郷(高野)
23 野ばら(メンデル) 31 → (次回)
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・ 遊子の 脳トレ- エクササイズ
< 虫食い川柳> ・・・ 珍答誤答は当たり前 ! 原句をあてる、
正解を得るのが主目的ではなく、ことばをいろいろ考える楽しみ。
原句よりすてきな句になることも !
164 #288 □ □ する ポーズ一押し待っている
#289 履きなれた 靴と帽子が□ う □
#290 始末書を 書いて□ □ 褒められる
#288→ (遠慮)
#289 → (誘、旅) #290 → (達筆)
1. 会津磐梯山 2. 遙かな友に 3. Missa Pasis KYRIE
4. Matona mia cara いとしのマドンナ
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・練習曲資料 46 「遙かな友に」 <関連情報>
「遙かな友に」発祥の地 「遙かな友に」 歌碑
・「遥かな友に」は,磯部俶が 1951(昭和26)年に作詩作曲した合唱曲。
磯部俶は 早稲田大学グリークラブの合唱指導をしており,クラブのOBでもあった。「遥かな友に」の誕生には次のようなエピソードが残されている。
・グリークラブは 昭和24~26年の3年間,神奈川県津久井渓谷の夫婦園に一軒家を借りて,夏と秋に合宿をしていた。1951年夏の合宿の時,新入部員が枕投げをするなど あまりにもはしゃいでなかなか寝ないのに上級生が頭を痛め,「明日の練習に差し支えるので何とか早く寝かせたい」と磯部氏に相談したところ,磯部氏は腹ばいになりながら 五線紙もない中で即興的に作曲したのが この「遥かな友に」だった。
・この歌は最初 グリークラブのパートリーダー達4名が無伴奏で歌っていたが,その後 ボーカルグループ・ボニ―ジャックスがレコード化し,NHKの“みんなのうた”に取り上げられたため 広く全国に広がり,男声合唱,女声合唱などに編曲され,今日も親しまれている。
・「遥かな友に」の歌碑は 1986(昭和61)年に,また誕生の地碑は 2001(平成13)年に建立された。
男声クァルテットボニージャックスは、磯部俶が名付け親であり、メンバー4人の結婚式の媒酌人は全員磯部夫妻が務めたという。
磯部俶作詞作曲の「遥かな友に」は、1951年、当時すでに早稲田大学グリークラブのOBでありかつ指導者であった磯部が、メンバーと共に神奈川県の、道志川沿いの津久井渓谷(現相模原市緑区)の夫婦園で夏合宿をしていた時、なかなか寝ない部員たちを鎮めるために即興でつくったといわれる。
1982年、津久井町(現相模原市)でボニージャックス公演が開かれたとき、地元に呼びかけ、早稲田大学グリークラブのOBらも協力して、1986年7月13日に「遥かな友に」の詩碑が建てられた。場所は作曲地夫婦園ではなく、少し離れた「緑の休暇村」である。これを機に津久井町は「合唱の里」宣言を行い、1992年から毎年敬老の日に、この場所で磯部俶記念「遥かな友に」道志川合唱祭が開催されている。
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アーカイブ <名古屋ゴールデンエイジ・メールクワイヤー> 22年の歩み (35)
2002年までの訪問演奏 ( 76回 )
~ 演奏した主な曲目(1999~2002) ~
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16 証城寺狸囃子 24 野ばら(ウェルナー)
17 背くらべ 25 野ばらの花
18 ソーラン節 26 婆やのお家
19 筑波山麓合唱 27 遙かな友に
20 ともしび 28 ブラームスの子守歌
21 涙君さよなら 29 ふるさと(オナーチン)
22 希望の島 30 故郷(高野)
23 野ばら(メンデル) 31 → (次回)
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・ 遊子の 脳トレ- エクササイズ
< 虫食い川柳> ・・・ 珍答誤答は当たり前 ! 原句をあてる、
正解を得るのが主目的ではなく、ことばをいろいろ考える楽しみ。
原句よりすてきな句になることも !
164 #288 □ □ する ポーズ一押し待っている
#289 履きなれた 靴と帽子が□ う □
#290 始末書を 書いて□ □ 褒められる
#288→ (遠慮)
#289 → (誘、旅) #290 → (達筆)
Posted by あおなみ遊子 at 07:57│Comments(0)│TrackBack(0)
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