2016年02月20日

遊子のGエイジコーラス - 128 ー

2 / 19(金)  ・練習会 18:00 
 1  改訂版「荒城の月A2」 2 モーツアルトの子もり歌   
 3  編曲「五木の子守歌」 4 シューベルトの子もり歌
 5 ローレライ  6 さくら 
 ・掲示板 No.103
練習曲資料 38 「五木の子守歌」  <関連情報> 
・五木の子守唄 (熊本県民謡)
 よく知られた子守唄ですが、歌詞は悲しい内容です。原曲は熊本県球磨郡五木村の古謡。
 その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、娘たちは幼いころから家を助ける為子守奉公に出されました。娘たちは奉公の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になった。
~五木の子守唄のルーツ~
 日本の民謡の中には、被差別者の境遇や生活を唄ったものがあります。皆さん良くご存知の熊本県の有名な民謡で「五木の子守歌」というのがありますが、この民謡は「子守唄」とはなっていますが、赤ちゃんをあやす唄ではなく、子守娘の気持ちを唄った「守り子唄」と言われています。

 1950年(昭和25)から10年間、作曲家・古関裕而が編曲した「五木の子守歌」は、NHKのおやすみ番組の電波にのり、独特のハモンドオルガンの演奏とともに、地元・五木村が知らない間に、一躍、民謡の花形となり日本の代表的な子守唄として、全国に知れわたっていきました。

 五木は、熊本県人吉市から西北へ25キロ入った山間の村、五木村のことです。

 昔、源平の戦いに敗れた平家の一族が五木村の隣の五家荘村に定着したので、源氏は梶原・土肥の武者を送って五木村に住まわせ、平家の動向を監視させたと伝えられています。

 その後、これらの源氏の子孫を主として、三十三人衆と呼ばれる地主(よか衆とよばれる檀那階級)ができました。この他は「勧進(かんじん)」といわれる、いわゆる小作人で、この小作人は田畑は勿論のこと、家・屋敷から農機具に至るまでを「よか衆」から借り受け、「農奴」として最低の生活に甘んじ、被差別者としての苦しみを続けていました。

 娘たちも10歳位になると、よか衆の家や他の村へわずかの賃金で子守奉公に出されていました。その悲しい子守娘の諦めの気持ちと、よか衆に対する小さな抵抗を唄ったものがこの子守唄です。

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   アーカイブ <名古屋ゴールデンエイジ・メールクワイヤー> 22年の歩み ⑲
     2009. 1. 31 ・名古屋聖霊病院」訪問演奏(昭和区)
         3.26 ・中国西安心連心合唱団と夕食会 (南区レストラン)
        3.28 ・福祉施設「ラ・ファミリア」訪問演奏  (中川区) 
        5.16 ・「ひょうたん山医院」訪問演奏(守山区

・ 遊子の脳トレ- エクササイズ
 < 虫食い川柳> ・・・ 人生経験と知識がものをいう。正解を超える名答 ! 珍答誤答は当たり前 !
  原句をあてる、正解を得るのが主目的ではなく、ことばをいろいろ考える楽しみ。 

128       #231 いい人に なろう □ くはなれぬから 
        #232  優しすぎ 慎重すぎて□ □ りぬ  
        #233  すぐ同意 するのも □ く□ られそう
          #231 →  (偉)                       
            
             顔2 #232 → (物足)  #233 → (軽、見)

                                                                                                       






Posted by あおなみ遊子 at 09:35│Comments(0)TrackBack(0)

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