2016年11月24日

ナゴヤGコーラスA - 179 -

179                
<名古屋Gエイジコーラス愛唱曲・画像>  ❺ 「荒城の月」
              作詞:土井晩翠  作曲:滝廉太郎    


 荒城の月」 は、土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲による 歌曲。哀切をおびたメロディと歌詞が特徴。非常に悲しげである。七五調の歌詞(今様 形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

・『広辞苑』(第6版)には、「荒城の月」は「土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の歌曲。
 1901年(明治34)刊の「中学唱歌」の作曲募集に当選したもの」とある。

・明治34年(1901年)に中学校唱歌の懸賞の応募作品として作曲された。原曲は無伴奏の歌曲であった。歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。原題は『荒城月』。

・歌碑は全国に4箇所設置されている。土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址。そして滝廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城址、同じく富山県富山市富山城西側。
          
・ 「荒城の月」の「荒城」のモデルについては、講談社文庫「『日本の唱歌[上]』明治篇に、「土井晩翠は、仙台の青葉城、あるいは会津若松の鶴ヶ城だったと言い、滝廉太郎は郷里の大分県竹田の岡城だったといい、それで今では、仙台と会津若松と竹田の3か所に記念碑が立っている」とある。

・さらに触れておくと、 富山城址公園にあるわけは、「荒城の月」を作曲した滝廉太郎が、小学校1年生の途中から 3年生の途中まで約3年間、旧富山城内にあった小学校(富山県尋常師範学校附属小学校)に 通ったという縁によるもの。
 また、二戸市の九戸城跡(くのへじょう・あと)にあるわけは、昭和19 年に林檎狩りに訪れた晩翠が、九戸城の悲劇を聞いてみずから筆を執って「荒城の月」を書き残して帰った、ということがあったので、その筆跡をそのまま碑に刻んだということだそうである。
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179       お気に入り 俳・歌・柳 壇 
                                             
 曲がり道車窓に見ゆるスーパームーン                         
 長き秋の夜冴えわたりゆけ      (岡崎市)  俊 道

 「寝たきりになっては困る」が口癖の
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 あかときの犬の散歩は楽しげに
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 軽快な足音立ててすれちがう
 呼吸(イキ)若やかな女性ランナー      (千葉市)   等 

  
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 179     ・ お気に入り川柳
             トランプ氏 期待はずれを期待する  (ひさ子) 

             チョイ悪で 済めば世界が安堵する (成 五)

             トランプで 神経衰弱する政府   (省太郎)              
                 
             傷負った 白鳥見てるような真央   (逸 郎)

             スポーツの 厄年だよと名古屋人   (勝 仁) 

                 

              

  

Posted by あおなみ遊子 at 07:47Comments(0)TrackBack(0)