2015年10月31日

遊子のGエイジコーラス - 96 ー

 10/ 30(金) パート別練習会 17:00 (T1,T2)
          全体練習会   18:00
          ・練習曲   1. ジェリコの戦い  2.中国地方の子守唄   3. 斎太郎節
              4. 埴生の宿     5. 夕やけこやけ 6.アムール河の波
練習曲資料 28   「埴生の宿」 (Home, Sweet Home)       
         
 『埴生の宿』は、1823年に作詞・作曲され、同年初演のオペラ『ミラノの乙女』の中で歌われた歌曲。作曲は、イングランドの作曲家ヘンリー・ビショップ。作詞はアメリカのジョン・ハワード・ペイン。
 日本では、中学校向けの音楽教材として、1889年(明治22年)に『中等唱歌集』に掲載された。訳詞は、『庭の千草(夏の最後のバラ)』、『才女(アニーローリー)』などの訳詩を手がけた里見 義(1824-1886)。

・映画『ビルマの竪琴』での感動シーンでも有名に 
 第2次大戦末期のビルマ(ミャンマー)の山中。日本軍の部隊が戦闘を前に「埴生の宿」を歌い終える。いざ突撃しようとしたその時、取り囲んでいた英国兵から歌声が上がった。同じメロディーの英語の歌「ホーム・スイート・ホーム」だった。敵味方は合唱し、手を握り合い、そして日本兵は終戦を知る。
 一つの歌で心を通い合わせた両軍は、戦闘を止めた。「歌は国境を越える」。そんな言葉の意味を実感させてくれる名シーンだった。

・埴生の埴は黄赤色の粘土のことで、埴生は埴を産する土地、または埴のこと。「埴生の宿」は粗末な住居の意。瑠璃はサンスクリットから来た言葉で、七宝、すなわち古代インドや中国で珍重された金銀など7種類の宝石の1つ。また、末廣照男さんからの情報により、『埴生の宿』が本邦で初演されたのは黒船の来航時だったということも明らかになりました。
 すなわち、嘉永7年(1854)年、日米和親条約が締結されると、その批准のため、ペリー提督は参謀長に軍艦2隻を率いて本国へ先発させましたが、その送別の際に演奏されたのがこの『埴生の宿』だったそうです。

96     アーカイブ <名古屋ゴールデンエイジ・メールクワイヤー> 20年の歩み ⑬ 
  2004. 10. 3 ・杉本美術館にてコンサート (知多郡美浜町)
       10.17 ・明治村オータムコンサート   (聖ザビエル天主堂)
       11. 6 ・福祉施設「ケアハウスきぬうら」訪問演奏 (蟹江町)
       11.16 ・「毎日ドクター総会」にて演奏  (ホテルキャッスルプラザ)
       11.17 ・「福祉施設「なごやかハウス岳見」訪問演奏  (昭和区)
       12.18 ・「福祉施設「洋々園」 訪問演奏 (西春町)

96    ・お気に入り川柳 
        届きました ¥ が付いていればなあ   (千 葉)     健 
        嬉しさは 二人落下しても金        (北海道)   康 夫        
        仏壇の 前で我が孫五郎丸        (神奈川)   常 生


  

Posted by あおなみ遊子 at 15:55Comments(0)TrackBack(0)